はきだせ

はきだす

今の自分を残しておけるのも、あと少し。

近々手術をする。そして私はオストメイトになる。

その時が迫ってきている。

 

セカンドオピニオンもして、今の体の状態で日常生活を続けていくのはこれ以上、精神的に無理だと判断して、自分で決めたことだ。

でも、手術が迫るにつれて、予期せぬ不安がぽつぽつと心の中に落ちてきた。

経口栄養ドリンクが主食だった約2年の生活が、それなりの食生活に戻れる。これは喜ばしいことだ。とにかく苦痛だった食生活を改善するためにはこれしかないと医者に言われてのストーマ造設だから、納得も、それなりの覚悟もしている。

そのかわり、私生活は多少不便になることが確定している。お腹に、常に排泄物を溜めるバッグを付けて一生生活する。匂いはどれくらい気になるのか、漏れたりはしないのか、出かけても周囲の人の目が気になるようになるだろう。

私は、趣味で小説や絵を描いている。小説は書き始めてまだ数年だけれど、文字が奏でる世界の、無限の可能性に魅了された。仕事ではないから、書く必要はない。けれどこの趣味があったから、病気で引きこもっている人間が外の世界に向かって表現する場を得られた。時には周りから褒めてもらえることが本当に嬉しかった。

ここ数ヶ月は、全く新しい文章を書けていない。体も心も手術に向けての不安と心構えで精一杯で、何かを創造しようという脳に切り替えられないのだ。

 

ストーマ造設後も、この心理状態がそのままだったらどうしようという不安が、手術が近づくにつれて大きくなってきている。自分の中で今までとは考え方や価値観が変わり、再び筆を取ろうという気になるのだろうか、と。こればかりはなってみないとわからないから、考えても無駄なのだ。それは重々承知している。

だからこそ、手術前の、体が変わる今こそ書いておきたいのに、頭も体もついてこないもどかしさで、思考が停止してしまいそうになる。

 

とにかく、私のことを誰も知らない場所で、はきだしておきたかった。

小説ではないけれど、文章にして、形にして、変わる前の自分を刻んでおきたいのだ。

 

きっと、同じ心配をしている。

大学病院は迷路だ。

初めて訪れた人は、それぞれの科の受付で、次にどこへ行けばいいのか訪ねることがほとんどだ。

今の病院にお世話になってもう10年以上になる私は、何がどこにあるのか、たいていの場所を知っている。だから受付で「ここへ行ってください」と説明を受けた人が、ちゃんとあるべき場所へ行くかどうか、時々気になってしまう。それが老齢の方だと尚更だ。

人が少なくなってきた大きな待合所で、受付に行き先を訪ねているおばあさんがいた。思わず足取りを目で追う。すると、同じようにその人を目で追っている男性がいた。

どういう気持ちで見ていたのかはもちろんわからないけれど、きっと私と同じ気持ちなんじゃないだろうかと思った。おばあさんが正しい角を曲がった瞬間、私は小さく安堵して手元のスマホに目を落とした。その男性もすっと顔を落とした。

 

病院には色んな人が来る。

受付で自分の番はまだかと喚き散らす人、大きな声で付き添いと喋り続ける人、それらがまるで聞こえないかのように黙々と手元の娯楽に没頭する人。

病院は、病人が来るところだから、基本的に他者を気遣う余裕が無い人たちばかりなのだと思う。もちろん私も、本当にしんどい時は周りが目に入らない。

 

鬱屈とした空間の中で、その男性と小さな真心を共有できた気がして嬉しかった。

男性の真意はわからない。

でも、そう思う方が幸せじゃないか。

 

未開封の白いシャツワンピース。

突然の夏日にみまわれ、紫外線に弱く、二の腕を出したく無い私は気分転換をかねて、羽織れるシャツワンピースを買うことにした。

通販サイトをはしごして、はしごして、サイズや色、素材をわくわくしながら選んで、オーソドックスな白いシャツワンピースに決めた。届くのが楽しみだった。

3日後、服が届いた。まだわくわくしていた。

手にとってみると、もちろん注文した通りの白いシャツワンピースがビニール袋に入っていた。

 

でも、ふと、我に返った。

私はこれを着てどこに行くというのだろう。

先々の予定といえば、通院、通院、通院、そして入院、手術。

病院に行く予定しかない。体調に不安があるから、友人を誘うこともできない。

選んでいた時のわくわく感はなんだったんだろう。

モデルさんが楽しそうに着ている写真を見て、それに自分を重ねてしまったのだ。

あんなふうに、裾を翻して笑って出かける予定なんてないのに。

 

シャツワンピースは、届いた状態のビニール袋に入ったまま、まだ椅子の上に放置してある。

まだしばらく涼しい日が続きそうなのが救いだ。